
量子コンピュータの処理の仕組み——量子テクノロジーは世界を変えるのか? 中編
量子コンピュータの処理の仕組み
量子テクノロジーの発展でブロックチェーンは崩壊するという誤解
量子コンピュータは、「特定の問題を解決するための計算処理において」という条件付きで、スーパーコンピュータよりも優れている。
——では量子コンピュータはどういう処理が得意なのですか?
A氏:それを理解するためには、従来のコンピュータが行っている処理と、量子コンピュータが行う処理の違いについて理解する必要があります。私たちが普段使っているコンピュータは、『ビット』と呼ばれる2進数の単位で計算処理をしています。
ビットは『0』と『1』という状態を持っていて、この2つの組み合わせで計算処理が実行されるのです。そして、この0と1の組み合わせを増やせば増やすほど多くの処理が可能になります。
一方、量子の世界では『0』と『1』の状態を同時に持っている、という現象が存在していて、この単位を量子ビットと呼びます。この量子の特性を使ったものが量子コンピュータなんです。
B氏:非常に難しい話なので、イメージしやすい例をあげますね。ビットの世界は『コインが裏か表か』を『裏である』とか『表である』と表現できるものです。これは私たちが普段体験している現象のままなので理解できるでしょう。
しかし量子の世界では『コインが裏かもしれないし表かもしれない』という現象が存在するのです。当然、私たちが現実世界でコインを目撃した時に、そんな状態はありえないですよね。ここが難しい部分でもありますが、量子の世界ではそういったことがありえるのだと理解してください。
このように、そもそもビットと量子では計算処理の根本的な方法に違いがあるんです。そして、量子コンピュータはこのような量子の特性を使うことで、『複数の組み合わせがあるような問題に関して最適な組み合わせを発見する』といった処理に秀でていることがわかっています。
A氏:比較的身近な例でいえば、素因数分解があげられます。素因数分解というのは『21=3×7』のように、特定の大きな数(21)を素数の掛け算としてあらわす計算のことです。21くらいなら今のコンピュータでもすぐに解けますが、この数字を大きくすればするほど計算処理は複雑になります。コンピュータのなかで最上位の性能を持つスパコンですら、600桁を超えると答えを出すまでに数万年かかるといわれていますね。
ところが、1994年にピーター・ショアという米国の数学者が、量子コンピュータを使って特定のアルゴリズムに従って計算をすれば、通常のコンピュータよりもはるかに高速で素因数分解ができることを発見したのです。
B氏:このように、従来のコンピュータでは時間がかかりすぎる特定の計算処理も、量子コンピュータであれば非常に短時間で処理できます。特に、数多くの条件や変数のなかから最適な答えをみつけ出すような問題については、量子コンピュータの得意分野であろうと考えられます。
A氏:ちなみに量子コンピュータにはゲート型とアニーリング型という2種類があり、ゲート型は組み合せ最適化計算、素因数分解、機械学習など汎用的に使えるであろうとされています。
一方、アニーリング型は組み合せ最適化計算に特化した量子コンピュータで、現時点で実機開発が進んでいるのはアニーリング型ですね。そして、これらの量子コンピュータの特性がどのような分野で力を発揮するのか、という点についても現在研究が進められている最中です。
——ではもう少し具体的に、量子コンピュータの性能を活用する方法の例を教えてください。
A氏:一例としては交通渋滞の問題があげられます。たとえば、カーナビを使って大量の車が最短距離で1つの目的地に向かおうとすると渋滞が起きますよね。ならばと、多くの車が脇道を使って目的地に向かうと今度はそちらで渋滞が発生します。
このように個々の車が自分にとって最適なルートを選んだつもりでも、全体としては皆が損をしているようなケースがあります。
では、個々の車がどのルートを選ぶ組み合わせなら最も渋滞が起きにくいか。このような問題は『組み合わせ最適化問題』とも呼ばれるのですが、量子コンピュータが得意な計算処理です。
従来のコンピュータは『車AがルートAを選んだ場合、車AがルートBを選んだ場合…』といったように1個ずつ計算処理をしていくのですが、車とルートの数が増えれば計算処理の数が爆発的に増えてしまい、現実的には計算不能になってしまうんです。
B氏:現在、量子コンピュータを適用することで、特に効率化などのメリットがあるとされているのは『最適化計算』、『機械学習(AI)』、『シミュレーション』、『暗号技術』の4分野です。『最適化計算』は先程の交通渋滞の例のような、複数の組み合わせのなかから最適なものを選択するための計算処理を指します。
具体的には、サプライチェーンやロジスティクス業界の配送ルートや荷物の配分、調達方法の選択といった複数の要素から最適な方法を瞬時に解き明かすといった使い方が想定されています。また金融分野では投資のリスク分散やポートフォリオの最適化などへの活用が検討されています。
投資分野は数多くの投資候補があり、さらに社会情勢の変化や各企業の業績、技術発展といった多くの要素が絡んでくるので、それらのなかから最適なものを量子コンピュータによって算出するわけです。
A氏:量子コンピュータは膨大なデータを探索するような処理も得意なので、最近話題のAI技術で行われる『機械学習』への活用も期待されています。また、量子力学はそもそも分子や電子に関する物理学なので、それらを使う化学の分野とも相性が良いとされています。
たとえば物質の構造を調べたり、分子がどのように相互作用しているのかといった『シミュレーション』を量子コンピュータで行うことで、医薬品の開発などに役立つと期待されています。また、量子テクノロジーによって暗号の解読や通信の秘匿化も発展すると予想されています。
——「量子コンピュータによって暗号の解読が行われるようになればブロックチェーン技術が崩壊する」という話を聞いたことがあります。
B氏:それも、量子コンピュータに関してよくある“誤解”の1つですね。ブロックチェーン技術には多くの暗号技術が使われていて、それによってたとえばウォレット内の資産のセキュリティが保たれています。ところが、量子コンピュータと適切なアルゴリズムを使えば、世界中に公開されているウォレットアドレスから、秘密鍵と呼ばれる秘密のパスワードも理論上は解読できてしまうのです。
現在の暗号化技術は、スパコンのような古典的コンピュータ(※量子コンピュータとの対比として現在使われているコンピュータは「古典的コンピュータ」と呼ばれる)を使っても、解読までに数万年以上かかってしまうようになっているのですが、量子コンピュータはそれを短時間で解いてしまう可能性があります。
ただし、暗号資産やブロックチェーンに限らず、ネットバンクやネットサービスなどの多くが、『古典的コンピュータでは解析するのが難しいが、量子コンピュータなら短時間で解析できる』暗号技術を使っています。なので、量子コンピュータによって暗号解析ができるようになれば、ブロックチェーンが崩壊する前に、現在のインターネットが崩壊するでしょう。
しかし実際には、量子コンピュータの発展に伴い、『耐量子暗号』と呼ばれる量子コンピュータでも解析することができない暗号技術の研究も進んでいます。
たしかに現在の暗号技術をそのまま使うのであれば、ブロックチェーンに限らずさまざまな暗号がいつかは解析されてしまうのですが、その前に量子コンピュータに対応した暗号技術が広まるはずです。
A氏:現在インターネット上で使われている暗号技術には、先ほど紹介した素因数分解の難しさによってセキュリティを担保しているものが数多くあります。そして、素因数分解はまさに量子コンピュータの得意分野なので、暗号の解析が短時間でできてしまうんです。とはいえ、量子コンピュータが広まるのであれば、その前に『耐量子暗号』が普及するはずなので、あまり心配する必要はありません。
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◉A氏
40代既婚、男性。ハードウェア開発職を経て、国内大手IT企業の研究部門に勤務。量子コンピュータ及び量子テクノロジーの開発研究に従事している。最近買って良かったものはVRゴーグルの「Meta Quest 2」。休日はもっぱら自宅でVR ゴルフをプレイしていて、家族からひんしゅくを買っている。

◉B氏
20代男性。大学で量子力学を専攻し、現在はコンピュータ誌を中心に活動するIT専門記者として活動している。趣味は自作PCで、本業のかたわら自作PCサイトを運営している。最近買って良かったものは「Google Pixel 7a」。長年のApple信者だったが、費用対効果を考えてついに改宗した。