![MIYAVI氏 インタビュー サムネイル](/_next/image/?url=https%3A%2F%2Fiolite-192740701266.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com%2Fc8ff30d5-82dc-45a5-925b-4aa2a4735d05%2F%25E3%2582%25B5%25E3%2583%25A0%25E3%2583%258D%25E3%2582%25A4%25E3%2583%25AB.png&w=1920&q=75)
サムライ・ギタリスト MIYAVI ギターとの出会い、挫折と苦悩の先で掴んだMIYAVIらしさに迫る—
世界中から注目を集める日本人アーティストMIYAVI
挫折と苦悩の先に見出したアーティストとしての役目と在り方——
人生初めての挫折
——「サムライギタリスト」という異名を持つMIYAVIさんですが、ギターを弾くきっかけになった出来事はなんですか?
MIYAVI:もともと僕はサッカー選手になりたかったんです。
ちょうど小学校低学年の時にJリーグが開幕して、日本のサッカー界が新たな盛り上がりをみせはじめていた頃で、バッジョやジーコ、日本人だと三浦カズ選手など多くのスター選手に憧れて毎日サッカーボールを蹴って過ごしていました。
中学に入った頃には日本のプロチームの下部組織のジュニアユースに入りましたが、そこで怪我をしてしまって夢を諦めてしまいました。
それまで朝から晩まで、本当に昼夜問わずサッカーボールを追いかけていたので、その時の挫折と夢を失ってしまったショックは大きかったです。
そもそも、地元のチームからジュニアユースに入ることができたのは僕だけで、元々チームのキャプテンもしていたので、それだけで大きなプレッシャーがあったし、その当時は今のようにスマホや通話アプリもなかったので、それまでチームメイトだった友人たちと距離ができてしまいました。
それこそ学校が終わると駅まで走っていって、そのまま電車のなかで着替えて練習に向かう日々。練習場が遠かったので、どんなに急いで行っても練習に遅刻してしまう。
そして練習が終われば満員電車に揺られて帰る。家に帰って宿題をする時間さえありませんでした。そして次の日起きて学校に行くけれど、疲れて休み時間までずっと仮眠していました。
それまで仲の良かったチームメイトからも疎遠になり、どんどん孤立していきました。また学校が終わると、走って駅まで行く。
「自分は何のためにサッカーボールを蹴っているのだろう」あんなに好きだったサッカーが楽しくなくなってしまった。
むしろ、サッカーボールに追いかけられているような感覚。それまでボールを追いかけることが楽しくて仕方なかったのに、いつの間にか苦しいものになっていました。
その後、怪我をしてチームを離れることになったわけですが、その時に初めてホッとしている自分がいたんですね。サッカー選手になりたくてサッカーが大好きでずっと続けていたのに、できなくなってしまった自分に安堵してしまったんです。
今考えるとそれくらいいっぱいいっぱいだったんだろうと思いますが、当時はそのことに対して自分自身が衝撃を受けたし、何よりすごくショックでした。
ずっと追いかけてきた夢を失ってしまった自分は、「何のために生きているんだろう」と生きる意味を見失ってしまいました。14、15歳の自分が感じたはじめて味わった挫折です。
ギターとの出会いという転機
——どん底を味わった後、転機が訪れるわけですね。