「重要なのはカリスマ性ではない。リーダーシップとは人を惹きつけることではない。リーダーシップとは、人のビジョンを高め、成果の基準を高め、人格を高めることである。」
「もしドラ」のブームによってビジネスに携わる人に留まらず、多くの人々に知られることになった「マネジメントの父」ピーター・F・ドラッカー。これは、彼が著した「マネジメント」に記された一節だ。
改めてリーダーについて考えてみると、初めは聖人君主のような人物像が浮かんでくるが、リーダーは押し並べて完全無欠な存在なのだろうか。実際はそう一辺倒で解釈できるようなものでもないようだ。ドラッカーは著書のなかで、リーダーたることの第一の要件は、リーダーシップを仕事とみることであり、第二の要件は、リーダーシップを地位や特権ではなく責任とみることである、として「個人」ではなく、「ミッション」にこそリーダーシップの本質があると説いている。もう少しリーダーの輪郭をくっきりと浮かび上がらせよう。
「ボスは私という、リーダーは我々という
ボスは失敗の責任を負わせる、リーダーは黙って失敗を処理する
ボスはやり方を胸に秘める、リーダーはやり方を教える
ボスは仕事を苦役に変える、リーダーは仕事をゲームに変える
ボスはやれという、リーダーはやろうという」
この言葉は、英国の高級百貨店チェーンの創業者の言葉であり、2020年にトヨタの労使協議会にて、代表の豊田章男氏が自戒の念を込めて引用した言葉でもある。彼らがどのような意図を持ってこの言葉を残したのか、すべてを汲み取ることは難しいが、確かに解像度の高いミッションによって、リーダーシップが芽生える可能性を感じる。