天動説が主流だった時代においては、天文学者は天動説を基盤に置いて研究を行った。しかし、天動説ではどうやっても理解できない動きをする惑星が発見されると、その謎を解明しようとさまざまな新説・珍説の類が誕生する。そのなかにたまたま、問題解決に適応できる研究、たとえば地動説があらわれると、徐々に人々の研究は地動説中心に移っていき、やがて従来の定説であった天動説は忘れられて地動説が主流の社会となる。
哲学者にして科学史家のトーマス・クーンが、1962年に提唱したパラダイム論は、世界中にセンセーションを巻き起こした。現在では本意を超え、社会全体の価値観が劇的に変化することを「パラダイム・シフト」と呼ぶようになった。本書のなかでは、現代を「農業革命」、「産業革命」に次ぐ、第三のパラダイム・シフトの時代であるとしている。変化を引き起こしたのは、「情報」すなわち、インターネットだ。
科学技術の発展によって生み出された大量生産・大量消費社会により訪れた幸福は、次第に負の側面も人々にみせるようになった。産業が環境を破壊し、他人の人権を搾取し成り立っていることを、我々は知った。科学を啓蒙したマスコミは、お金をもらえば科学を否定する発言をすることも知っている。こうして「物欲や金」は否定するべきものへとなった。そこへ、インターネットが普及した。
インターネットは、個人では処理できない量の情報提供と、個人が情報発信側に回ることを許した。この状況をみて岡田氏は『人々は自己実現・自己発表のために目まぐるしく動きながらも現実の世界ではモノを消費せず、あまり動いたりせずに資源の消費をしないように努める』『豊かさを支えるのはモノではない。もっと抽象的な、お金にならない分野になる』『人類は、貨幣よりも自分にとって「楽しい」「好き」を提供してくれる人を評価するようになり、その評価に応じたリべートを払うようになる』と、予測を立てたのだ。
『評価経済社会』が預言とされた2024年現在の社会変化
ネットで話題になったように、評価を得ることが貨幣価値を上回る社会や時代は本当に訪れているのだろうか。現在起こっているネット上の現象をいくつかみてみよう。
バズることに夢中になったZ世代
しばらく前に、社会問題となった迷惑行為をSNSに晒す「バカッター騒動」では、身内で「いいね」を稼ぐために、わざわざ誰がみても犯罪行為とわかることをインターネットにアップしていた。
「なぜ、世界中の人がみている空間に、わざわざ自分が不利になる情報をアップするのか」「将来的な損害賠償のことなど考えていないのか」と、誰もが不思議に思ったはずだ。だがあれも、「仲間内からの評価を獲得したい」という動機が何よりも優先されていると考えると納得ができる気がする。
仲間内の「いいね」獲得のためにネットにアップしたいたずら。そのいたずらを必死で探し出し、炎上させることで「いいね」を得ようという第三者。そうした動きが重なっての騒動だったのではないだろうか。また近年、インフルエンサーがアップした「踊ってみた動画」を素人が真似した動画が流行っている。
踊ってみた動画で使用されている楽曲は、レコードの売上にはみえない形で世界的なヒット曲となり、ビルボードの上位に日本人も知らない日本の楽曲が入っていることも珍しくなくなった。面白いのは、真似している側は、アップによりお金が得られているわけではなさそうなことだ。
インターネット黎明期では考えられないことだし、「オリジナリティがない」と一笑に付されていただろうが、この動画は自分に影響を与えてくれた人を評価しつつ、同好の士が集まるアイコンとして利用されている。動画の編集も凝っており「いいね」を得るためにかけるコストは、貨幣価値に換算するようなものではなくなってきているのだろう。
経済では測れない「推し活」
自分のイチオシの何かや誰かを応援する活動を「推し活」というようになって数年経った。主要ジャンルであるアニメ・アイドル関連の市場だけでも、年約4,500億円規模のお金が動いている。ライブやグッズ購入などで動くお金は理解しやすいが、最近多いのが、配信者に対する「スパチャ」。いわゆる投げ銭だ。配信者によっては1ヵ月に1,000万円以上もスパチャだけで稼いでいる。
スパチャが飛び交う配信をご覧になったことはあるだろうか?高額の投げ銭を行ったからといって何か物が得られるわけではなく、配信者から「感謝の言葉」と、同好の士から「ナイスパ!」という評価のコメントが得られるだけだ。
情報革命以前のパラダイムに軸足を置いている世代にとっては、なんとも非生産的な行為に映る。だが、推し活を行っている当人たちは、「お金<評価」という価値基準で動いているのだろう。高額配信者は、チャット欄の上位に名前が載っている。それはコミュニティ内で叫ぶ、推しへの愛の声である。
聖地巡礼という、推しが活躍した作品の舞台を巡る運動も馬鹿にできない。某アニメ作品の舞台となった静岡県沼津市では、都会を捨て、作中キャラの暮らしていた町に移住する聖地移住が盛んだ。移住したファンはファンコミュニティのなかで高い評価を得るようになり、気が付けば沼津市への移住者の数は、県庁所在地である静岡市を抜いて静岡県2位となった。経済的なメリットを捨て、推しへの愛で人生を決めるという生き方も今やあたり前の動きとなっている。
Vtuberにとって大事なのは“中の人”
日本で最初のバーチャルタレント・キズナアイは、バーチャルYouTuber(Vtuber)は、いわゆるなかの人が変わっても、キャラクターとして残り続けることができるという旨の発言を行っていた。だが、どうもその理念は崩壊しているようにみえる。
Vtuber界隈では時々、「転生」という言葉がささやかれる。何らかの理由があって、キャラクターを演じられなくなった配信者が、ほかのキャラクターのグラフィックとあらたたな名前で活動を始めることだ。実は、旧キャラクターのファンは、なかの人が変わると、転生先のキャラクターのファンへ移行する現象が多くみられる。
『評価経済社会~』のなかでは、評価は、自分に「楽しい」や「好き」といった影響を与えてくれるコトやモノに対して行われるとされている。とするならば、Vtuberが与えてくれる楽しさは、キャラクターの外見より、配信でかけてくれた言葉や歌の方がずっと大きい。
岡田氏は、これからの若者は、評価先をすべて肯定するわけではなく、さまざまな評価対象から好きな箇所を持ちよってオリジナリティを構築する、パッチワーク型の自我形成が一般的になると書いていた。岡田氏のいうパッチワーク的な評価の獲得で自我を形成していくという予測が正しいのであれば、Vtuber事務所はキャラクターのイラストは当然として、もっとタレントを大切に扱う必要があるのではないだろうか。
「面白さ」で人が動くDAOの誕生
岡田氏はこれからの時代、面白い価値を提供する側に対して、社員がお金を支払うような組織の形もあり得ると本書のなかで述べており、実際、本書の制作は、FREEexという岡田氏の後援会から発展した組織で行っていた。初版以降は、著作権含め本書の権利はこの団体が所有している。
FREEexのメンバーは、代表である岡田氏にお金を払う形で、プロジェクトへ参加できる。メンバーになると、岡田氏の評価や著作物を使用してビジネスを行うことが許可され、仕事をした社員は岡田氏のもとに支払われたお金を発行担保とした独自トークンを通じて報酬を得ることができる。
この仕事の形は、タレントの西野亮廣氏や中田敦彦氏らが行っているオンラインサロンの原型となったとされているが、本書の読者はもっとなじみ深い形でこれを目にしているはずだ。ブロックチェーンにおけるDAO(分散型組織)である。DAOのような形の組織が、現在世界で定着しているかといわれたら、まだといわざるを得ない。
だがWeb3.0に興味を持っている人ならば、いずれは、DAOがもっと広まってほしいと願っているはずだ。FREEexが設立したのは2010年。オンラインサロンについては、一時期のような勢いはなくなっている。だが、少なくとも14年前にDAO的な組織が成立し、現在も残っている事実は、これからのWeb3.0時代の到来に向けた希望ではないだろうか。