暗号資産金融・経済

人類が見出した「お金」の正体 貨幣の誕生から暗号資産まで——

2024/12/03Iolite 編集部
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人類が見出した「お金」の正体 貨幣の誕生から暗号資産まで——

譲渡できない石の貨幣が示した可能性

マンガなどで原始人が担いで持ち運ぶ巨大な石の貨幣をみたことはないだろうか。あの貨幣は実在する。場所は、ミクロネシア連邦のヤップ島。この島は19世紀になっても周辺の島々との交流もほとんどなく、島民は極めて原始的な社会のなかで生活していた。

そのため、19世紀末から20世紀初頭にかけて、原始の人類社会を観察できる貴重なサンプルとして多くの学者が調査に訪れた。彼らが目にしたのが、巨大でとても持ち運べそうにない石の貨幣「フェイ」だ。

直径は30cmくらいのものから3m近くになるものまでがあり、大きい物は重さ1tを超える。フェイの特徴はわざわざ遠い島から切り出され運ばれていたということと、重すぎるため通常の貨幣のように持ち運ばないということだ。この貨幣で売買を行ったとしても相手にわたすことがなく、家の前や道端に放置されていた。

大事なのは借用した「記憶」 貨幣は何をやり取りしているのか?

島内で高額の決済、たとえば土地の取引や結婚式の結納金などにこのフェイは用いられていた。フェイの所有者は、代金として自分の所有するフェイの所有権を相手に譲渡すると宣言し、譲られた人はフェイが譲られたことを記憶し、語り継ぐ。これだけで取引が成立していた。

フェイの価格は大きさと語り継がれる物語で定められていた。わざわざ島外の石で作られるのも、物語に壮大さと希少さを演出するためだった。当時ヤップ島でもっとも裕福とされていた家にはフェイがなかったが、この家は島で1番巨大なフェイを所有していると伝わっていた。

その家が所有するフェイは3世代ほど前の先祖が製造させたものでものすごく巨大だったが、運搬中に嵐で海に沈んでしまったと伝わっていた。当然、村人は誰もそのフェイをみた事がない。だが、このフェイが存在するという物語を全員が信じたことで、この家は島1番の金持ちとなっていた。

フェイの発見は、原始社会が物々交換だったという説に一石を投じた。それまでの経済学では、人類は原始社会下で物々交換を行っていたと考えられていた。だが、物々交換ではお互いが求めているものを常に持っているとは限らないので、保存がきき誰もがほしがる貴金属を交換媒介として使うようになった。

これが貨幣だと皆学んでいた。だが、実際に19世紀まで残っていた原始社会そのもののヤップ島には貨幣が存在した。しかも、「実際に貨幣をわたさない」「貨幣の価値は記録と記憶だけで成立」「貨幣を持っていない家庭でも信頼と物語だけで金持ちになれる」という従来の説では説明できない事態が次々と発見された。

フェイの発見により、改めて「貨幣とは何か」「貨幣はどうやって生まれたのか」という疑問が誕生したのだ。

ミクロネシア連邦ヤップ島

▶ヤップ島は現在、米ドルが普及しているためフェイが取引に用いられることはない

誰もみた事がなく、譲渡できないものを取引に使うなんて信じられないかもしれないが、我々は今これに近いことを行っている。たとえば銀行への預金。銀行は他人にお金を融資し、その利子によって経営しているが、銀行が融資する資本の原資は、我々が預けている預金だ。

あなたは自分が預けている預金が、札束として銀行に積まれているのをみたことがあるだろうか?我々は本質的にヤップ島の人たちと同じだ。違うとすれば、口頭ではなく、通帳の残高という形で取引を記録し記憶しているだけだ。

20世紀中旬まで世界は銀本位制や金本位制という経済システムで動いていた。これは、国家が保有する金や銀の現物相当額の保証があって、初めて貨幣は発行できるという幻想だった。ヤップ島には金や銀は存在しなかった。あったのは、他者の語る物語への信用だけだ。

貨幣とは「負債を記録するシステム」

現在我々が使用するお金は、国家が発行しているのだから信用がある。なので金や銀の保証はいらないという「管理通貨制度」が採用されている。この管理通貨制度をジョン・メイナード・ケインズ氏が提唱したのは1920年代であり、実際に世界が「管理通貨制度」に移行したのは1971年以降と最近のことである。

ヤップ島の例が発見されて以降、20世紀に入ると、人類学者たちは改めて、人類の売買形態について調査を始めた。20世紀は人類史の大ブームである。

もちろんそのなかには優勢思想のような悪しき研究も紛れ込むことになるわけだが、それまでと違い、鉄道や飛行機で世界中を調査できるようになった学者たちは、ある1つの結論に至った。どうやら人類が「物々交換社会」を経験したという証拠が出てこない。冷静に考えれば当然の帰結である。

ペンを忘れてしまったととなりの席の同僚からペンを借りる時、いちいちペンに変わる何かを我々は用意しない。とりあえずペンを借りて、後からせいぜい「ありがとう」と缶コーヒーを奢るくらいだろう。

原始社会のように、社会の構成人数が少なく人間関係が濃厚な場合、わざわざ物々交換などという手段をとるまでもないのだ。ところで、この例では「ペンを貸す」だけで、コーヒーという+αの経済価値を貸手側が得ていることを見逃してはいけない。これは後ほど詳述するが、貨幣の正体を探る上で極めて本質的な出来事である。

人類学者たちは、こう結論付けた。「貨幣とは、硬貨や紙幣といったモノを指すのではなく、取引を行った際に、どうしても生じる負債を記録するシステムである」と。

近しい人同士での貸し借りの場合は、ヤップ島のフェイのようにわざわざ、お互いの負債を細かく記載する必要はない。だが、村の規模が拡大し国となってくると話は別である。たとえ同じ言語を話そうと、まったく信用・信頼のおけない国民間での貸し借り(取引)が発生してしまう。そこで人類は貨幣システムを発明したのだと。

ドイツの哲学者で経済学者のカール・マルクス氏は「商品交換は、共同体の終わるところに、すなわち共同体がほかの共同体または、ほかの共同体の構成員と接触する点に始まる」としていた。一例をあげよう。

歴史が証明する貨幣の価値

古代ギリシヤの歴史家であるヘロドトスが記した『歴史』に、カルタゴ(現在のチュニジア北部にあった国家)とアフリカ奥地の黒人部族との貿易記録がある。

カルタゴ人の船団はアフリカの交易地に到達すると、まず浜辺に荷物をおろして船に戻り狼煙をあげる。すると浜辺の奥から黒人部族が出てきて、品物を検分し、その品に見合うと思った量の黄金を置いて再び奥へ帰る。

部族が浜辺から遠ざかったのをみて、カルタゴ人は再び上陸。金の量を確認し、納得したら黄金を船に積み込み出航、満足いかない場合は黄金を受け取らず、再び船に戻り黄金の量が増やされるのを待っていた。同様の貿易記録は、世界中で記録されており、お互いに言葉を一言も介さないため「沈黙交易」と呼ばれている。

経済学者の栗本慎一郎氏は、世界中で記録される沈黙貿易の本質は、言語が通じないからとった「沈黙」という手段ではなく「接触忌避」にあったと指摘している。相手が自分と共同体の異なる、信頼の置けない異人だったからこそ、接触するのはおそれられたというのだ。

人類は何故過剰に異人との接触を避けてきたのか。そのヒントは本邦の歴史書『日本書紀』の斉明天皇6(660)年3月の記録にある。この月、将軍・阿倍比羅夫は粛慎国という謎の国の武装船団と出会い戦った。彼は、開戦の前日に武器や高級品であった染布を浜辺に積んで粛慎人に示し、1度は軍を引き上げている。

粛慎人はそのうちの着物を自分たちの着物と交換して船に戻ったが、何らかの理由で再び浜辺に戻り1度は持ち帰った服を返却したため戦になったと記録されている。

お互いがお互いの文化を知らないからこそ、下手に接触をしたら争いが起こってしまう。だから、戦意がないことをあらわすためだけに行われたのが、初期の交易だった。当然だが、この場合、交易で得た商品を持ち帰った際に、お互いの共同体で損得が感じるような取引を行ってはならない。

だからカルタゴの例のように、商品はどちらかに利潤が生じないよう慎重に現場で吟味・検分されたのだ。そして、貸し借りが発生しない物々交換では、貨幣が誕生する余地はない。

中国で歴史上確認できる最古の王国は黄河文明の「商」という国だが、この国は吸収した他民族に対し、王の権威の象徴としてタカラガイという貝の貝殻を加工して下賜していた。タカラガイは美しい貝殻で装飾品として人気があったが、中国近海には生息しておらずインドの南洋や沖縄近海で捕獲していた。

つまり、東アジアでタカラガイを持つということは本来不可能であり希少なタカラガイを気前よく与えてくれる商王に、支配された他民族は従った。「財」「寶」「貨」といった財貨を示す漢字に「貝」という字が入るのは、この事例があったからだが、この加工品である「貝貨」では、売買はできなかった。

あくまで下賜であり貸し借りではないため、貨幣としての機能は必要なかったのだ。江戸幕府の勘定奉行・荻原重秀は、17世紀初頭に、貨幣の価値は素材価値ではなく、信用であることに気が付いていた。「貨幣は国家が国民に信頼されていれば、瓦礫で作ったとしても流通するはずだ」という主旨の言葉を残している。

古代中国の貝貨

▶古代中国で下賜されていた貝貨。1枚1枚きちんと加工されている。この貨幣は、貴人の棺のなかなどから大量に出土する

貨幣より先に借金が誕生していたことで人類は文字を発明

さて、現代の銀行の話に戻る。銀行は顧客から預かった資金を第三者に融資するわけだが、100万円の融資を行ったとして、その分減った100万円を顧客の残高から差し引くことは行わない。これは、銀行が第三者にお金を貸すことによって、存在していない100万円の利潤を創りだしているということを意味する。

このような貸出から生まれる架空の経済効果を”信用創造“という。これが行えるのは、銀行が顧客に信頼されているからだ。銀行でこれだから国家が信用創造を行う金額ははるかに大きい。

人類が最初に築いた巨大な国家群のことを、世界四大文明という。だが、この規模の共同体になっても、人類はまだ貨幣を発明していない。当然だが国家となると、すべての国民と顔見知りというわけにはいかないため、ヤップ島のように口頭だけで決済を行うわけにはいかなくなった。

そこで人類は「借金を記録する手段」を求めた。まだ文字を持っていない人類が、債務を記録するのに用いたものが、メソポタミア文明の遺跡から大量に出土している。「トークン」と呼ばれている粘土製のフィギュアと「ブッラ」と呼ばれる粘土製のボールだ。

▶楔形文字が刻まれた粘土板(左)メソポタミア文明が使用したトークンとブッラ(右)

小麦を1kg借りる場合は、小麦袋の形をした「トークン」を1つ作り、これを借主は貸主にわたす。そして、公平で平等の象徴である神殿へむかい、神官と貸主の前で、「トークン」を「ブッラ」のなかに入れ封印し焼き固めた。返済日が来ると再び借主・貸主双方が神殿に集い、利息を含めた返済を行う。

きちんと返済されたら、ブッラとトークンはその場でたたき割られ、返済となった。このシステムはやがて、神殿に集められる税金の管理にも応用されていく。従来は国家による支出が発生した場合、その都度倉庫から倉庫へ小麦を動かすなどしていたが、トークンを使えば、トークンの移動だけで在庫管理が行えた。

こうしてフィギュアを使った帳簿システムができあがった。メソポタミア文明は四大文明のなかでも飛びぬけて農耕が発達していたが、これは在庫管理の帳簿ができあがっていたからと考えられている。いつの時代も、投資の選択と集中を効率よく行える地域は経済的に強くなる。

選択と集中により経済規模が大きくなると、商品の種類が増えトークンの種類も増えていった。いちいち壊すための粘土細工を作るなら、トークンの種類と数をあらわす印を定めて、そのまま粘土板に刻んでしまおうということになる。この記号を、我々は「楔形文字」と呼んでいる。

ちなみに楔形文字は、ほぼ完全に解読が終了している古代文字だ。メソポタミア文明の遺跡から出土する粘土板に書かれた文字を読み解くと、そのほとんどが、個人の借金の記録や取り立ての文言、金を返さないことへの苦情だそうだ。人類は貨幣が誕生する以前から借金に四苦八苦していた。

メソポタミア文明の位置

▶メソポタミア文明は1つの国家ではなく、チグリス川、ユーフラテス川流域に発展した複数の農業国家群のことを指す

こうして、借金の記録システムと文字が誕生したが、すると次なる問題が生じてくる。ちょっとした日常の決済を行う場合にも、粘土板に文字を記載しなければならないのか、神殿や王の前に行かなければならないのかということだ。

文字を使いこなすにはそれなりの勉強も必要となる。そこで、国家が考案したのが、硬貨などの貨幣システムである。国家が検分を行った貴金属、あるいは穀物などの価値を認めやすい何かなら、共同体内に所属する民間人同士での貸し借りに自由に用いてよいとしたのである。

これが、我々がよくみる硬貨や紙幣などの貨幣である。つまり貨幣とは、自分が所属する共同体内で、知らない者同士での借金を手早く記録するシステムとして誕生したものなのである。

「貴金属」という魔力によりお金の本質は忘れられた

ところが、グローバル化が進み文明同士の交流が始まると、この前提を人類は忘れていった。異なる共同体であったとしても、言語は時間をかけて学ぶことはでき相互理解は進歩していく。

すると、まったく異なる文明と思っていた民族にも、自国と近い価値観を持っている箇所があることに気が付く。お互いに平和的に付き合うため利潤を避けた交易を心がけていた原始の交易の形が変わっていく。

「この国では価値がないとされている香辛料だが、わが国では倍の価値がある」「わが国では有り余っている鉱物が、この国には不足している」。

相互理解が進むことで、交易は利潤を生むための貿易へと変わっていった。この時、身分の高い人々が好む装飾品として、たまたま世界的に価値が高いと考えられていた最大公約数だったものが、金や銀などの貴金属だった。

日本では、平安時代の頃まで金というのは貴族が着飾るために持つものでこそあれ、貨幣としての価値はまったくなかった。だが、グローバリズムが進んでいったことによって日本も金を前提とした貨幣体制へと変わっていく。

それでも17世紀頃には、国内で金貨、銀貨、銅貨の3つの貨幣を用いた変動相場制の貨幣という、現在の基準からみても極めて先進的な貨幣制度で国家運営をしていた。だが、世界と貿易を行うためには金銀が必要だということで、明治維新後はあえて世界の金銀複本位制に則った原始的な貨幣制度に変更している。

19世紀末、貿易決済貨幣として世界中で用いられていたのは銀貨であった。ただの銀貨ではない。メキシコで採掘された銀を用いて作られた8レアル硬貨の品位と重さに則って作られた「貿易銀」と呼ばれていたものである。

メキシコの8レアル銀貨

▶メキシコの銀貨の品位とサイズを基準として16~19世紀まで世界各国は貿易決済銀貨を作っていた

図柄は、なんでもよく、どこの国が作っても問題なかった。ただ、品位と重さは等しくなければならなかった。日本で最初に作られた1円銀貨は米国1ドル銀貨を模したものだ。そして1ドル銀貨は、メキシコの銀貨を模した貿易銀である。

世界の人々は、貨幣とは国家の信用で発行される貸し借りの記録ではなく銀の重さであると錯覚していたのだ。もちろんこの決済方法にはメリットもある。1レアル銀貨の価値も1ドル銀貨の価値も、1円銀貨の価値も、世界中どこへ行っても等しかったため決済はスムーズだったのだ。

新国立銀行券1円

▶日本が発行した初期の紙幣には、必ず券面に、”この紙幣を銀行に持ち込んだ人には金貨と紙幣を交換する”という但し書きがされている

帳簿は文字となり、そしてブロックチェーンへ

さて、お金の本質が、国家の信用を背景とした貸し借りの記録であるということはこれにておわかりいただけたと思う。であるならば、現在世界で最も進んだ記録手段であるブロックチェーンを用いた暗号資産が注目されるのも当然の流れだ。

ただ、貨幣は同時に、国家の信用をもって発行するものという前提があり、そこがWeb3.0と相性が悪い。スマートコントラクトが中央管理者の代わりになるという理念はわかるのだが、アナーキストが抱く国家への不信と、一般庶民が国家に抱く信用なら、現状まだ後者の方が強い。

これから暗号資産が普及していく上で大事なのは、信用の獲得である。まず我々愛好家が襟を正し、極端に利潤などをアピールせず堅実な決済システムであることを伝えることと、業界内にいるスキャムコイン発行者などの怪しげな事業者を排除することを行うべきだろう。


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