──ファッションモデルとしてファッション誌やメディアなど媒体を問わず活躍されていますが、実業家としてもさまざまな挑戦されています。改めて現在の活動をお聞かせください。
ダレノガレ明美(以下、ダレノガレ):株式会社CAROを設立し、代表としてコスメブランドの運営をしています。
私が最初にモデルとしてお仕事をさせていただいたのは、ファッション誌の「JJ」でした。デビューしてから半年くらい経った頃に、ありがたいことにバラエティ番組のお仕事もいただけるようになりました。
もともとバラエティ番組が大好きで、芸能界に入る前から「いつか出たい」という思いが強かったんですよね。同時に、モデルのお仕事にも憧れがあり、ずっとやってみたかった。だから、バラエティ番組に出演できるようになった時は本当にうれしかったんです。「踊る!さんま御殿!!」や「逃走中」に出られたのは本当に楽しかったですね。
「逃走中」は夜遅くまで別の収録をした後、地方へ移動して朝から撮影、みたいなハードスケジュールだったりもしました。でもアドレナリンが出ているので、あまり眠らなくても大丈夫なんですよ。
撮影が始まる前は、ストレッチや練習をしたり、まるで部活みたいなノリで、すごく刺激的でした。収録後にスーツ姿のサラリーマンを見かけると、「ハンターが来た!?」って一瞬ドキッとするくらい(笑)。それほど夢中でやっていました。
どの番組に出ても面白い企画ばかりで、毎回すべてが新鮮でした。私はデビューが遅めだったんですが、そのタイミングでいろんな番組に出させてもらえたことが、結果的にテレビで私のキャラクターが求めてもらえたきっかけになったんじゃないかなと思っています。
──ファッションモデルから会社の代表として、ビジネスの世界に進出する際に、難しかった点は何でしたか?それをどのように乗り越えましたか?
ダレノガレ:学生時代、時間を持て余していたこともあって人生設計ノートみたいなものを作ったんです。というのも、親から「これからは女性も働かなきゃいけない世の中になるから、男性に頼るのではなく自分で働ける場所を作りなさい」とずっといわれてきたんです。
実際に高校生の時は暇がないほどアルバイトをしていました。両親の教育方針で、学費は出してもらえるけど、学校までの交通費や携帯代は出してもらえないので、自分で稼がないといけなかったんです。でも、やってみると働くことが楽しくて。
掛け持ちバイトもして、稼ぐこと自体に喜びを感じました。小さい頃から“お店屋さんごっこ”が大好きで、子供用レジじゃ物足りず、「本物のレジ」がほしいとサンタさんにおねだりしたこともあるんです。結局、本物のレジを手に入れて、家で1人お店屋さんごっこをして遊んでいました。
それが大人になって、実際にお店を持つことを想像すると、ワクワクが止まらなかったんです。バイト先のクッキー屋さんでは、製品の陳列やレジの打ち方を教えてもらいながら、「こういう風に自分でお店を運営したい」という夢を膨らませていました。