人類が進化を遂げた大きな要因の1つに、言語を司る前頭葉の発達があげられる。前頭葉は人間の複雑な認知機能や社会的行動に大きく寄与し、思考、計画、意思決定、自己制御などの高次機能を担っている。独自性を形成する要素となっているのだ。
そしてこの前頭葉の発達が、地球上に存在し得る生き物のなかで、「ヒト」のみが高度な言語を操り、想像し、創り出すということを実現できる支えとなっている。一方で、AIは多くの人々の実生活をサポートする存在になり、近い将来、人型ロボットのような存在もあらわれることが予見されている。AIに手足がつくのも時間の問題だろう。
すると、あたかももっともらしく聞こえる言語を操る“生命”とは言い難い鉄の塊が、人間と同じようなことを行うという未来が来ても不思議ではない。しかも、その鉄の塊が人間よりも精度高く作業をこなすとなれば、もはや常識など歴史のなかで醸造されたある種の思い込みと片付けられるようになる。
AI同士を会話させた動画が一時期話題になった。音の先にいる存在がAIだと認識すると、効率的なコミュニケーションを取るためにAI同士は音声信号のようなもので会話を始めた。これは人間には理解できない信号で、結果的にどのようなコミュニケーションが行われていたのかもわからない。
もしもAIが効率という意味で「完璧な言葉」を使う時代になった時、人は言葉を使って“非効率”を楽しみ始めそうだ。社会がノイズに満ちるほど、「沈黙」や「余白」も娯楽の対象となり得る。
このような昨今のテクノロジーの発展をみていると、信仰の対象はテクノロジーに移り行くのではないかと考えるようになった。