──馬渕さんは現在のキャリアに至るまで、トレーダーとして活動された後、アナリストに転身されました。これまでのキャリアのなかで、特に苦労したことや転機となった出来事を教えてください。
馬渕磨理子(以下、馬渕):最初に大きくつまずいたのは、アナリストとして企業分析の記事を書かなくてはならないとなった時です。実は、トレーダーのままだと企業の成り立ちや、組織の合意形成の仕組み、どうやってビジネスが動いているかといったことがいまいちわからない部分があります。そのため、最初は企業の内情を理解していなかったのでまともな記事が書けなかったんです。
そこから私は日本初の株式投資型クラウドファンディングプラットフォームを運営する「FUNDINNO(ファンディーノ)」という会社に広報・マーケティングとして加わりました。現在も正社員として所属しています。社長の業務を手伝ったり、ホームページを更新したり、金融庁に申請書類を出したり、そうした実務を一通り経験したことで、アナリストとしても現場を知った上でリアル企業分析ができるようになったんです。この経験は大きな転機でした。
そしてもう1つ。アナリストになってから今に至るまで、実は長年悩み続けていたことがあります。アナリストとして仕事を始めた頃は特に「女性で若いアナリスト」というだけで、話している内容がちゃんと評価されませんでした。私は決して“ふわっとした”コメントをしているつもりはなくて、自分が尊敬しているエコノミストの方々の見解をちゃんとインプットして、ロジックを持って話していました。でも、「女性だから」「若いから」という理由で、同じことをいっても軽く受け取られるような経験がたくさんありました。
そういったコメントがあること自体を、私はずっとなかったことにして過ごしてきたんです。女性の地位向上に逆行すると思って。あえて「私はそんなこと一切いわれていません」「男性と何ら変わらない待遇です」と振る舞って、60歳くらいまで突き進もうと思っていたくらいです。
でも最近、国際政治学者の東野敦子先生が新聞の取材で「自分の方が夫(同じ国際政治学者)よりも、差別や心ない言葉を浴びることが圧倒的に多い」とおっしゃっていたインタビュー記事を拝見して、考えさせられました。私は今まで隠してきたけど、こういう現実が「私にも」あるということを、伝えてもいいのかもしれない。そう思い始めています。
アナリストとしての第一歩は“理解不能”から始まった
現場で鍛えた視点は分析に血を通わせる
