パフォーマーからマルチな存在へと変貌を遂げる
あらたな門出に彼が見据えるモノ
——今回の撮影日の前日、5月1日にLDH卒業の記者会見がありました。率直に現在の心境をお聞かせください。
関口メンディー(以下、メンディー):会見が終わった後、まるでお正月のようにたくさん応援の連絡をいただいて、いろいろな人の想いとか応援を背負っているんだなと、背筋が伸びると同時に、改めてやる気に満ち溢れる感覚になっています。
今朝は早く起きて外を散歩していたのですが、すごく清々しい朝というか、あたらしい風が吹いているなという感じがしました。
人生の転機 ダンスとの出会い
——ダンスを始めたきっかけについてお聞かせください。
メンディー:大学1年生の時にダンスを始めたのですが、それまでは野球をやっていました。当時は大学も野球で行けたらうれしいなと考えていました。
実際には実力的に難しく、スポーツ推薦は断念することになり、一般入試で日本体育大学に入学しました。
体育の先生になるために勉強をしようとしていたのですが、大学生は時間があると聞いていましたし、あたらしいことを始める良いきっかけになるのではと考えてアンテナを張っていました。
大学デビューじゃないですけど、軽率にどうやったらモテるかみたいなことを考えて、とりあえずモテている人たちがいる環境に行って、そこで目に止まったのが、縄跳びを使った競技であるダブルダッチのサークルとダンスサークルでした。
僕は単細胞な部分があるので、とりあえずアクロバットができたらモテるんじゃないかと思っていたんです。
後になって振り返ると、日体大なのでバク転・バク宙ができる人はたくさんいるんですけどね(笑)。
ある時、新入生のサークルの勧誘でダンスサークルの先輩が僕のところに来て、「君、ハーフだったらダンスやった方が良いよ」という謎のこじつけと勧誘を受けました。
そこで「僕は大学デビューをしてモテたくて、アクロバットをやりたいです。なのでごめんなさい」と伝えたら、「ダンスやっていてもアクロバットはできるぜ」といって、その場で先輩がバク宙を決めたんですね。それがダンスを始めるきっかけになりました。
それからマイケル・ジャクソンやアッシャー、クリス・ブラウンなど海外のアーティストのミュージックビデオを教えていただいて、僕もこんな風に踊れるようになりたいと思ってのめり込んでいきました。
——2012年にGENERATIONS、2014年にはEXILE加入。輝かしい実績の裏にはさまざまな苦労があったかと思います。現在の活動の糧となっている苦労したエピソードはありますか?