2023年末、量子コンピュータの世界にブレイクスルーが起きた。
専門家たちが叡智を注いできた同領域の未来とは——
私たちの日常に溶け込んだコンピュータは0と1の組み合わせで文字や情報を表現している。コンピュータは電気信号を使って動作し、電気信号の「オン」と「オフ」を0と1で表す。1は「オン」、0は「オフ」だ。
そして、情報交換のための米国標準コードASCIIコード「American Standard Code for Information Interchange」と呼ばれる規格に則って文字や記号は表現されている。アルファベットの「A」は「01000001」といった具合だ。
量子コンピュータとは?
通常のコンピュータが扱うデータはビットと呼ばれる最小単位がいくつも集まって構成されている。1つのビットは「0と1」どちらかの値を取ることができ、通常のコンピュータはこのビットを大量に組み合わせて情報の処理と保存をしているのは前述の通りだ。
量子コンピュータは量子ビットの電子のスピンという性質を使って情報の処理と保存を行う。上向きのスピンと下向きのスピンの2つの状態を通常のコンピュータでいうところの「0と1」のように活用するが、そのまま活用するだけでは通常のコンピュータとは性能が大きく変わらないようにも思える。
ここで出てくるのが「重ね合わせ」と「量子もつれ」という性質だ。
物理学における二大基礎理論の1つである量子力学によると、電子のようなミクロな粒子は、複数の離れた場所に同時に存在し得るとされる。そして電子は、右回りに自転する状態と、左回りに自転する状態を同時に取ることができる。存在だけではなく状態も同時に存在し得る。
「重ね合わせ」はこの量子力学の性質、測定する段階まで上と下が不安定に存在しており、上と下、両方の値を取ることができるという性質を利用する。たとえるならコイントスをした時の空中に存在するコインの表裏のような状態。上下を行き来しているような状態を利用し並列処理をするということだ。
「量子もつれ」は1つのスピンが確定するともう1つの状態が確定するという性質。量子ビット同士が特殊な関係を持つことを利用して、物理的に離れていても、互いに依存した動きを示す。
たとえるならば、左手用と右手用のグローブをランダムに選んでそれぞれに入れた袋を、離れた場所に持っていく。この時、片方の袋を開けて中身が左手用だとわかると、もう片方の袋の中身は右手用であることが瞬時にわかるような原理だ。
これらの特性が、量子コンピュータの強力な並列計算や情報の安全な伝送を行う基盤となっている。
量子コンピュータを取り巻く状況
米国は向こう10年間で約13億ドルの資金を投下することを目標とした「国家量子イニシアティブ法」を2018年に制定。EUも「量子技術フラッグシップイニシアティブ」として、10年間で約10億ユーロの投資を進めるとされ、Google、IBM、Microsoftなどの大手企業も量子コンピュータの開発に積極的に投資している。
量子技術に対する政府の支援は世界中で拡大し、同領域にさまざまな資本が集中し始めているといえるだろう。日本国内においても量子技術の社会実装を促すために政府は量子技術に関するロードマップやビジョンを公開している。
▶︎量子コンピュータの経済効果及び市場規模と投資状況(インサイトペーパー「量子コンピューティング時代の到来に向けて:視座を高くして堅実な取り組みを」より引用)
量子技術の社会実装に向けた日本政府の新戦略案
2030年を視野に目指す目標
- 量子技術の国内利用者を1,000万人に
- 量子技術による生産額を50兆円規模に
- 未来市場を切り開くユニコーン企業の創出
1.スタートアップ企業の創出・活性化
●政府系ファンドを活用して起業環境を整備
●アイディアコンテストにて新規ビジネスを発掘
2.量子拠点の体制強化
●産業競争力強化のためあらたな拠点形成やヘッドクォーター機能の強化
●産総研・QST・東北大学・OIST・理研等が国際協力ハブを設立
3.人材の育成・確保
●産業界等の幅広い層への教育プログラムの提供、関連情報の一元的な情報提供
●医療、材料、金融等の他分野やAI等の技術分野と融合した人材育成
4.量子技術の知財化・標準化
●量子技術に関する民間主導のパテントプールや運営組織の立ち上げ
●国際的なルール作りを主導する体制
5.国際連携/産学官連携
●若手研究者の海外派遣、産業界の海外展開支援
●産学官の組織的な連携・協力体制構築
6.アウトリーチ活動
●科学館展示、SNS等の広報活動
●情報ポータルサイトなど情報提供強化
7.経済安全保障
●重要部品・材料のサプライチェーン確保
●政府系ファンド活用等のリスクマネー供給
量子コンピュータが抱える課題
現状、量子コンピュータの方が効率的に解くことができる問題があることはわかっている一方で、通常のコンピュータの方が効率良く解くことができる問題も、多く存在していることがわかっている。
米Googleがスーパーコンピュータで10,000年かかる計算を量子コンピュータが約3分で解いたという発表も、量子コンピュータがスーパーコンピュータよりも効率良く解くことができるモノがあるということを証明するために、極端に量子コンピュータが得意な問題を作って解かせたともいわれている。
結果だけがメディアに切り取られ、量子コンピュータはコンピュータの最終形態で万能であるかのように世間に認識されている実情がある。実際のところは、すぐに従来のコンピュータに取って変わるようなものではないというのが正しいと考えられている。まもなく実用化されるという誤解を解くためにも、下記にてどのような課題があるのか整理する。
課題
デコヒーレンス:デコヒーレンス(Decoherence)は、量子ビット(キュービット)の量子状態が外部環境やノイズの影響によって崩れる現象。主な原因は、温度の変動、磁場や電場の影響、周囲の他の粒子との干渉で、キュービットの量子状態を崩壊させる原因となる。
ノイズ:ノイズ(Noise)は、量子コンピュータの動作において、意図しない外部からの干渉や入り乱れた状態を指す。ノイズは、キュービットの正確な操作や測定を妨げ、量子コンピュータのパフォーマンスを低下させる原因となる。
解決策
極低温:量子力学的特性を利用して情報を処理する量子コンピュータ。量子ビットの状態は環境の熱エネルギーやそのほかの干渉によって容易に破壊されるため、非常に安定した環境(極低温)が必要。外部環境からの干渉を減らすことが可能になる。
光量子コンピュータ:フォトン(光子)を使用した光量子コンピュータも注目を集め始めている。光量子コンピュータはフォトンの安定性により、デコヒーレンスに強い傾向がある。光子は非常に高速で移動するため、計算処理が速く行える可能性もあるとされ、主流とされていた量子コンピュータの別の形として再注目された。
量子コンピュータの実用化
量子コンピュータが長けた領域とそうでない領域があることは、基盤となる量子力学と量子コンピュータが現状置かれている課題から理解していただけたと思う。では、量子コンピュータの活用が期待される領域とはどのようなものがあるのだろうか?
医薬品開発
量子コンピュータは、分子構造やその相互作用をより正確にシミュレートできるため、薬物の設計プロセスを迅速化する。分子のエネルギー状態や構造を量子力学的に計算することで、薬物候補の特定や最適化が可能。
化学反応の詳細なシミュレーションにより、あたらしい薬物の開発や既存の化学プロセスの最適化が可能になったり、薬物と生体分子との相互作用をシミュレートすることで、薬物の安全性や有効性を向上させることが可能とされる。
機械学習と人工知能
LLM(Large Language Model)は、テキストや自然言語の理解・生成に優れているが、量子コンピュータと組み合わせることで、より複雑なデータ処理や分析を高速化できる可能性がある。
たとえば、量子コンピュータで複雑な分子シミュレーションを行い、その結果をLLMで分析・解釈することで、あらたな医薬品の発見や材料科学の進展に寄与する可能性がある。
天文学や気候変動のシミュレーション
超新星爆発やブラックホールなど、天体物理学的な現象のシミュレーションのほか、星間物質や宇宙マイクロ波背景放射などの電磁場のシミュレーションによって宇宙の進化や構造を解明する手助けとなり得る。また、多数の変数を持つ気候モデルを効率的にシミュレーションし、気候変動の予測精度を向上させる可能性がある。
暗号資産と量子コンピュータ
量子コンピュータの進歩が暗号解読に利用される場合に、その安全性を公開鍵暗号とハッシュ関数に依存する暗号資産にとっては気の休まらない問題ではないだろうか。
現在のコンピュータでは破るのが困難とされる暗号方式も効率的に解くことが可能だという。理論上トランザクションで使用される公開鍵から秘密鍵を導出することが可能になり得るといい、資産の盗難リスクが生まれる可能性がある。
一方で「量子耐性暗号」または「ポスト量子暗号」と呼ばれるあたらしい暗号方式の研究も進められており、ラッテス暗号やコードベースの暗号など、量子コンピュータによっても解読が難しいとされる暗号方式が研究されているのも事実だ。
量子コンピュータの暗号解読の脅威に対応することは暗号資産にとって重要な課題の1つであり、量子コンピュータによる解読が困難なより安全性の高い暗号資産が次々と生まれてくる未来もありそうだ。
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