The Symbol
佐々木俊尚氏にテクノロジーと社会の未来を訊ねる連載企画。
今回のテーマはNFTによって生み出される本来の価値
——NFTのこれまでとこれからについてお聞きできればと思います。まずはこれまでNFTの状況についてどのようなご見解をお持ちでしょうか。
佐々木俊尚(以下・佐々木):当初NFTが盛り上がったのは、従来コピー可能で実体のないデジタルアートにも所有権を設定できるというところが非常に注目されたわけです。
有名なところでいうと、Twitter(現X)の創業者であるジャック・ドーシーが2006年にツイートした最初の投稿が出品されて高額な値段がついたとか、一昨年頃までバブル化したという背景がありました。
ただ、その頃実際にNFTマーケットプレイスに出品されているデジタルアートをみてみると、アートとは言いがたいチープな画像、他の作品をコピペしただけのようなものが大量に出回っていました。
また、それ以外によくあったのが、何でもいいから有名な作品をデジタル化して儲けようとする業者が大量に発生するなど、そういったこともあって結果的にバブル化していたものが急速に過熱して崩壊してしまったというのが、一昨年から去年の状況だったかなと思っています。
——なるほど。昨年までのNFTの状況は良いとはいえなかったと。
佐々木:そうですね。つまり、本来、価値のないものにまで価値を付けてしまって投機的な動きをする人間が大量発生してしまった結果、NFT市場は崩壊したということですね。
これはNFTに限らずビットコインから始まるWeb3.0周りのインチキ臭さが露呈した部分でもあるわけです。本来、Web3.0はGAFAMなどのビッグ・テックの支配に対して、中央集権的なインターネットではなく、本来のオープンで民主的な姿に戻すという考えでスタートしたものでした。
ところが、Web3.0の中核的な技術がブロックチェーンに置かれ、なおかつ、ブロックチェーンがビットコインを通して広まったことで、それに群がる詐欺師や金の亡者が大量に発生しました。
そういった輩に引きずられてWeb3全体が金儲けの手段になってしまったところに現状のWeb3.0の悲劇があって、NFTもその一端に利用されマーケットとしては崩壊してしまったと。それが去年までですね。
地方創生×NFT
——今後、その状況が好転することはあるのでしょうか?
佐々木:去年の後半ぐらいからわずかながらですが、NFTの価値を捉え直そうとする動きが出てきています。
僕が注目しているプロジェクトの1つに新潟県山古志村の錦鯉NFTプロジェクトがあります。
2004年に中越地震が発生したこともあり、加速度的に人口が減ってしまった山古志村を何とかするために山古志村に移住した若者が中心となって行っているプロジェクトで、名産である錦鯉をイメージしたデジタルアートをNFTとして発行しているというものです。
これはこのデジタルアートの価値が上がるという部分に焦点をあてたわけではなくて、山古志村にコミットすることの象徴としてNFTを扱ったわけです。
具体的にいうと、このNFTの購入者は山古志村のデジタル村民になれるという仕掛けをしたんですね。結果的にこのNFTは1万人ぐらいが購入して、購入者の中には実際に山古志村に何度も訪れる人もいるわけです。
かつて総務省は地方の過疎化解消を人口増加と地方移住に求めましたが、これだけ若者自体の数が減り、年間出生数が80万人を切っている中で、全国すべての過疎地域に若者が移住するというのは現実的にありえないだろうとし、移住者と観光者の中間ぐらいで地域にコミットしてくれる関係人口という概念を打ち出しました。
関係人口というのは何度もリピートして訪れたり、ふるさと納税で定期的に納税してくれたりする人たちのことです。そういう意味でいうと、山古志村のプロジェクトは関係人口を増やすための手段としてNFTを活用したことが非常に面白いと思いました。
そして、山古志村のNFTを活用したプロジェクトはそのほかの市町村でも行われるようになっています。これはまさにNFTが当初目指していた方向性と合致しているのではないかと思います。
——地方創生施策の中にNFTの今後の在り方が見えてきたということでしょうか?
佐々木: 大事なのは、NFTはデジタルアートのようなコンテンツを売り買いするためのものではなくて、関係性のシンボルであるという認識が大事だと思います。
2022年に出した『Web3とメタバースは人間を自由にするか』(KADOKAWA)という本の中で、これはトークンエコノミーに関してのことでしたが、株式による株式会社と出資者のような企業活動だけではなく、トークンを買って応援するというような仕組みが社会に広まると我々の生活における生きがいになるのではないかと書いたんです。
生きがいというのはどういうことかというと、現在社会はあらゆることが自由になり好きなことを仕事にしなさいと謳われていますが、現実にはそれができる人は限られています。
さらに今後はAIやロボットが進化して普及するとAIが人間の仕事を奪うという議論もあります。しかし、たとえAIが人間の仕事を奪うにしても、そこに生産と消費が行われて貨幣経済が成立するならお金は回り企業は儲けられます。
AIやロボットが金儲けします、企業が儲けた金は国が税収します、国は仕事がない人にベーシックインカムでお金を給付します、ベーシックインカムで暮らしている人はAIが作ったものを買います、という社会が成立する可能性が数字的にはあるわけです。
そこで考えないといけないのは、そこに生きがいがあるのかということです。
働くというのはしんどいことかもしれないが、同時に自分が社会に価値を提供するか、誰かのために役に立っているか、というある種の生きがいを与えるものでもあるわけで、仮にそういった社会になった場合にどのように生きがいを見出すかということなんです。
ベーシックインカム社会でのNFTの役割
——そういった社会における生きがいとしてどのようなものが考えられますか?
佐々木:それは意外と現在いわれているところの“推し活”というものになるんじゃないかと。
誰しもがクリエイティブな才能を持っているわけではないので、仮に仕事はありません、自分はクリエイティブではありません、毎月20万円消費するだけとなった時、唯一できるクリエイティブな行動がクリエイティブな人間を応援することだと思います。
アイドルの推し活をしたりスポーツ選手を応援したりすることが、ある種の貨幣経済からこぼれ落ちている生きがいみたいなものをうまくカバーできる可能性があるんじゃないかと思いますよ。
現状では推し活というとCDを買うとかグッズを買うとかですが、これがたとえば、名もないアイドルがトークンを発行してNFTを付与するとします。
アイドルはトークン発行により活動費を得られるし、ファンにとってはそのアイドルが売れた際に無名時代のNFTも値上がりするので売ることもできる。
また、そのNFTを所有することがそのアイドルのファンとしてのシンボルになることもできるわけです。そこで初めてトークンエコノミーが投資目的ではなく個人の関係性を象徴するものになったりする。
株式投資でも当然儲けを期待するのもありますが、その企業を応援するという意味もあるわけで、そういった感覚がもっと広がっていけば、好きなことをやって生きなさいと謳われている世の中で生きやすくなるんじゃないかと個人的に思っています。
その仕組みの象徴としてNFTというものを捉えるということも必要なのかもしれません。
Book Review
『この国を蝕む「神話」解体 市民目線・テクノロジー否定・テロリストの物語化・反権力』
「権力は常に悪」「庶民感覚は常に正しい」「弱者は守られるべき存在」「人工的なものは危険」「自然由来が最良」…日本の社会に居座り続けている古くさい価値観。先端テクノロジーの進化と逆行している“神話”を解体し、未来を思考する道標としての最新論考。
佐々木俊尚 (著) 徳間書店 (2023/9/28)
Profile
◉佐々木 俊尚(Toshinao Sasaki)
1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。毎日新聞記者、月刊アスキー編集部を経て、フリージャーナリストとして活躍。『キュレーションの時代』(ちくま新書)、『レイヤー化する世界』(NHK出版新書)、『家めしこそ、最高のごちそうである。』(マガジンハウス)、『そして、暮らしは共同体になる。』(アノニマ・スタジオ)など著書多数。
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