—マイナンバーカードによる医療DXが進んでいない現状についてどのようなご見解をお持ちでしょうか。
佐々木俊尚(以下・佐々木):まずマイナンバーカードの普及率が70%台となっていますが、これはあくまでキャンペ—ンの結果であって、マイナンバーカードの意味自体が理解されているかというと違いますよね。これはマイナンバーカードを持つ意味がちゃんと報道されていないからだと思うんです。
今、話題になっているマイナ保険証も現場ではだいたい使えるレベルになってきた一方で、東京新聞などは個人情報が国管理になるなどの観点でマイナ保険証に対してネガティブキャンペーンを行っているわけです。しかし、個人情報云々の点でいうと、紙の保険証でも医療情報は国に提出しているわけで、そういった指摘はそもそも間違いなんですよね。
—紙の方が便利だとか不便だとかいう話はマイナンバーカードの本質ではない?
佐々木:そうですね。たとえば、紙の保険証でどこかの病院の診察を受けて処方箋を出してもらうと、そのデータはその病院で管理され、ほかの病院と共有することはないわけです。そうなると、ほかの病院で診察を受けて処方箋を出してもらった際に病院間でデータ共有していないので、一緒に飲んではいけない薬をそれぞれで処方されて飲んでしまうということも起きるわけです。
あるいは似たような症状で複数の病院に通院している場合だと二重投薬の可能性も起きます。
こうした事態を防ぐ手段がこれまで現実的になかったんですよ。確かに薬に関してはお薬手帳などがありますが、ペーパーレスが叫ばれている時代に紙の手帳を持ち歩くのかとか、お薬手帳のアプリも調剤薬局ごとにアプリが違うとかあるので結局は問題解決になっていないんですよね。
そこでマイナンバーカードの登場となるのですが、医療の現場におけるマイナンバーカードの意味というのは、通院記録やカルテ、処方箋、調剤薬局の投薬データなどのデータを一元化して照会できるようにしましょうということなんです。
そうすると、ある病院でマイナンバーカードを照会するとこれまでどういう診察をしてきたのかその場でわかると。当然、処方箋のデータも共有されるので二重投与や掛け合わせの問題などもなくなるわけです。
医療DXの推進は医療費の削減につながる
—なるほど。医療データを一元化することでそういったことが可能になるんですね。
佐々木:あと、もう1つ大事なポイントが、医療データをすべて一元化することにより精緻な分析ができるようになるといわれていることです。今、医療や健康のビッグデータが重要視されていて、たとえば、Apple Watchなどではさまざまなセンサーが内臓されていて個人の健康状態を測定できるようになってきています。この分野は20年も前からApple やGoogle などのビッグテ ックが取り組んできた医療DXなんです。
大量のデータをクラウドに集めて分析すれば、より精密な病気発症の予兆を捉えることができるようになったり、たとえば、心臓病を発症しやすい人の傾向が把握できるなど、さまざまなことが可能になるだろうといわれています。こうした日常の健康情報と病院などの医療データを組み合わせることでより精密な予測が可能になるはずなんです。これは結果的に医療費の削減につながるともいわれています。
今、日本では医療費がどんどん増加しています。医療が進化する一方で高齢化が進んでいるので、この傾向はさらに加速していくだろうといわれています。日本は国民皆保険という世界でも稀有な良い制度のもとで生活していますが、それの維持が難しくなってきているのが喫緊の課題となっています。でも、これこそが医療DXの最大の意味であって、マイナンバーカードと保険証を合体させる最大の理由なんですよ。
日本の報道機関の情報では医療DXの本質は理解できない
—国民の多くはそういった本来の意味を理解していないように思えます。
佐々木:そうですね。こういったことはメディアでは報じられていないんですよね。ワイドショーでもカードを落としたらどうするとか高齢者はパスワードを覚えられないとかそのレベルの的を得ない議論がされているんです。
これはマイナ保険証の話に限ったことではないですが、何か物事をみる時にはミクロの視点とマクロの視点があると思うんです。ミクロの視点というのは自分の経験や体験から物事をみるということで、マクロの視点というのは物事を俯瞰してみるということですね。ただ、テレビを始めとする日本の報道機関はミクロの視点が異常に好きなんですよ。
最近の例でいうと、能登半島地震での被災状況を報道する際に、日本の報道機関は瓦礫が片付かないなど地元民の声を中心に報道しています。もちろん、地元民のなぜ目の前の瓦礫がいつまでも撤去されないのかというミクロの視点での報道も重要なことです。
その一方で、瓦礫にも所有権があり、瓦礫の撤去には所有者の許可取りが必要でこうした問題から瓦礫の撤去がなかなか進んでいないという話があり、こういうことに目を向けるのがマクロの視点です。本来であれば報道機関はこうしたミクロとマクロの両方の視点を押さえて報道することが求められているはずですが、テレビも新聞も日本の報道機関はマクロの視点がないんですよね。
いわゆる現場主義、現場の情報をそのまま報道することが是とされているんで、マクロの視点が出てこなくなるわけです。これがまさにマイナ保険証の問題にも当てはまっていて、高齢者の声とかクリニックの院長の意見とかミクロの視点での報道はされるけど、厚生労働省やデジタル庁がなぜマイナンバーカードで医療DXを進めようとしているのかという全体の視点というのが欠落しているんです。
—マイナ保険証に対する国民の理解が進まないのは報道機関の姿勢にも問題があるということですか?
佐々木:そうですね。あと、現在、政府は全国医療情報プラットフォームというのを構築して、全国の医療機関や調剤薬局にあるデータを集約して照会できるようにしようとしています。
ただ、ここにもいくつか壁があって、たとえば、電子カルテは各病院によって個々のエスアイヤーに委託しているので共通化されていません。診療報酬もそうです。個々のクリニックによってシステムが異なり標準化されていないんです。
今、電子カルテや診療報酬のシステムの標準化を政府やデジタル庁主導で行っていますが、ものすごい膨大な量の仕事をこなさなくてはいけなくなっているので、民間から開発者や技術者を増員して、ある種の国家プロジ ェクトになりつつあるんです。そういったシステムが標準化されていないことが医療DXの障壁になっていて、ひいては今後の医療費の削減につなが っていない、また進んでいないというのもあまり理解されていないという感じがします。
—そこもやはり日本の報道姿勢がミクロの視点に偏っている弊害ですね。
佐々木:政府や官庁がマクロの視点で説明しても、日本の報道機関というのは「悪の政府vs善良な庶民」というよくわからない二元論で語りがちなマインドを持っているので、政府の発表よりも庶民の声を重視してしまうため、ミクロの視点に偏ってしまうんですよ。
しかし、報道機関がそのような姿勢だからこそ、我々はマクロの視点で物事を考えるということが今の時代は重要ではないかと思います。
Book Review
『この国を蝕む「神話」解体 市民目線・テクノロジー否定・テロリストの物語化・反権力』
「権力は常に悪」「庶民感覚は常に正しい」「弱者は守られるべき存在」「人工的なものは危険」「自然由来が最良」…日本の社会に居座り続けている古くさい価値観。先端テクノロジーの進化と逆行している“神話”を解体し、未来を思考する道標としての最新論考。
佐々木俊尚 (著) 徳間書店 (2023/9/28)
Profile
◉ 佐々木 俊尚(Toshinao Sasaki)
1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。毎日新聞記者、月刊アスキー編集部を経て、フリージャーナリストとして活躍。『キュレーションの時代』(ちくま新書)、『レイヤー化する世界』(NHK出版新書)、『家めしこそ、最高のごちそうである。』(マガジンハウス)、『そして、暮らしは共同体になる。』(アノニマ・スタジオ)など著書多数。
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