量子コンピュータなどの量子テクノロジーは、 未来を変える最新技術としてたびたび話題になっている。 しかし、量子コンピュータとはそもそも何なのか? それによって社会がどう変わるのか?
「今のコンピュータよりも驚異的な処理性能を持っている」という”誤解”から、 日本が世界を牽引する可能性の有無まで、量子テクノロジーにまつわる謎を聞いてみた。
——ニュースなどで量子コンピュータがたびたび取り上げられています。なぜそれほど量子コンピュータが注目されているのでしょうか?
A氏:量子コンピュータに関わる理論や技術は非常に難しいので、できる限り簡略化してお伝えしますね。量子という言葉は物理学の一分野である『量子力学』から来ています。これは物質を構成する単位である分子や原子、さらにそれらを構成する電子などについて記述・解明する学問です。
その量子力学の理論や現象を応用して、従来とは違う科学技術を作ろうというのが量子テクノロジーですね。そして、量子テクノロジーのなかでも特に量子をコンピュータ開発に応用しているのが、量子コンピュータと呼ばれるものです。
B氏:なぜ最近になって量子コンピュータという言葉がニュースで取り上げられるようになったのかというと、これまで理論上で語られていた量子コンピュータが、この数年で実際に開発されて稼働するようになってきたからでしょう。といっても、一部の大企業や専門機関がようやく試用機のようなものを動かし始めたような段階です。
A氏:今私たちが使っているパソコンやスマートフォンの基礎となったコンピュータ技術も、当初は科学技術分野などのごく一部の限られた人たちだけに使われていたものですよね。それが家庭用コンピュータによって一般の人々にも使われるようになり、さらにスマート フォンによって爆発的に普及しました。
このようなコンピュータの歴史でたとえるなら、量子コンピュータはまだ一部の研究者だけに使われているような初期段階にあたります。
量子コンピュータは、「特定の問題を解決するための計算処理において」という条件付きで、スーパーコンピュータよりも優れている。
——一般的な感覚として、「量子コンピュータ? なにか凄そうだけれどもよくわからない」という印象があります。たとえば昨年話題になったNFTやメタバースといった言葉は、一時的にメディアで大きく取り上げられましたが、今のところ社会の役に立っているようにはみえませんし、関連企業が事業を縮小しているというニュースも増えてきました。
量子コンピュータについても、誇大広告のようなものなのでは? という疑問があります。
A氏:量子コンピュータについては現実として開発が進められていて実際に稼働し、一定の成果が得られているものです。ただし、量子コンピュータに関するニュースについては、誇大広告や嘘だといわれても仕方がないものもあります。
B氏:『量子コンピュータは今のコンピュータやスパコンよりも数億倍も処理速度が早い』というような話は、量子コンピュータに関するよくある”誤解”ですね。
2019年にGoogleが科学誌で『世界最速のスパコンでも1万年もかかるとされる処理を、独自開発の量子コンピュータが200秒で実行した』と発表しました。これ以降、量子コンピュータはスパコンよりも優れた処理性能を持つものだという誤解が広まったんです。
しかし実際のところ、この論文は『量子コンピュータが得意な問題を設定して量子コンピュータに解かせたら確かに早かった』というものです。たとえるなら、『数学が得意な子と国語が得意な子に数学問題を解かせたら、数学が得意な子の方が成績が良かった』といっているようなものでしょう。だからといって、国語が得意な子があらゆる分野で劣るわけではないですよね。
A氏:もちろん、Googleが発表した内容は、量子コンピュータが既存のスパコンなどよりも“特定の分野において”優位性があることを示しているので、非常に重要な研究結果ではあります。それでも、このような誤解が生まれるのは、量子コンピュータについて正しい理解が広まっていないからでしょう。
また、メタバースやNFTと同様に、技術として成熟する前に過剰に宣伝されてしまっているような面もあります。量子コンピュータは既存のコンピュータをアップデート するようなものではなく、既存のコンピュータとは異なる分野で高いパフォーマンスを発揮するものなんです。 量子コンピュータの研究が進むことによって、私たちが普段使っているパソコンが高性能になっていく、というような話ではありません。
▶︎スパコン(スーパーコンピュータ)
科学技術研究などに使用される、一般的なコンピュータよりもはるかに大規模・高速なコンピュータ。
日本のスーパーコンピュータとしては『京』や『富岳』などが知られている。
量子コンピュータの処理の仕組み
——では量子コンピュータはどういう処理が得意なのですか?
A氏:それを理解するためには、従来のコンピュータが行っている処理と、量子コンピュータが行う処理の違いについて理解する必要があります。私たちが普段使っているコンピュータは、『ビット』と呼ばれる2進数の単位で計算処理をしています。
ビットは『0』と『1』という状態を持っていて、この2つの組み合わせで計算処理が実行されるのです。そして、この0と1の組み合わせを増やせば増やすほど多くの処理が可能になります。
一方、量子の世界では『0』と『1』の状態を同時に持っている、という現象が存在していて、この単位を量子ビットと呼びます。この量子の特性を使ったものが量子コンピュータなんです。
B氏:非常に難しい話なので、イメージしやすい例をあげますね。ビットの世界は『コインが裏か表か』を『裏である』とか『表である』と表現できるものです。これは私たちが普段体験している現象のままなので理解できるでしょう。
しかし量子の世界では『コインが裏かもしれないし表かもしれない』という現象が存在するのです。当然、私たちが現実世界でコインを目撃した時に、そんな状態はありえないですよね。ここが難しい部分でもありますが、量子の世界ではそういったことがありえるのだと理解してください。
このように、そもそもビットと量子では計算処理の根本的な方法に違いがあるんです。そして、量子コンピュータはこのような量子の特性を使うことで、『複数の組み合わせがあるような問題に関して最適な組み合わせを発見する』といった処理に秀でていることがわかっています。
A氏:比較的身近な例でいえば、素因数分解があげられます。素因数分解というのは『21=3×7』のように、特定の大きな数(21)を素数の掛け算としてあらわす計算のことです。21くらいなら今のコンピュータでもすぐに解けますが、この数字を大きくすればするほど計算処理は複雑になります。コンピュータのなかで最上位の性能を持つスパコンですら、600桁を超えると答えを出すまでに数万年かかるといわれていますね。
ところが、1994年にピーター・ショアという米国の数学者が、量子コンピュータを使って特定のアルゴリズムに従って計算をすれば、通常のコンピュータよりもはるかに高速で素因数分解ができることを発見したのです。
B氏:このように、従来のコンピュータでは時間がかかりすぎる特定の計算処理も、量子コンピュータであれば非常に短時間で処理できます。特に、数多くの条件や変数のなかから最適な答えをみつけ出すような問題については、量子コンピュータの得意分野であろうと考えられます。
A氏:ちなみに量子コンピュータにはゲート型とアニーリング型という2種類があり、ゲート型は組み合せ最適化計算、素因数分解、機械学習など汎用的に使えるであろうとされています。
一方、アニーリング型は組み合せ最適化計算に特化した量子コンピュータで、現時点で実機開発が進んでいるのはアニーリング型ですね。そして、これらの量子コンピュータの特性がどのような分野で力を発揮するのか、という点についても現在研究が進められている最中です。
——ではもう少し具体的に、量子コンピュータの性能を活用する方法の例を教えてください。
A氏:一例としては交通渋滞の問題があげられます。たとえば、カーナビを使って大量の車が最短距離で1つの目的地に向かおうとすると渋滞が起きますよね。ならばと、多くの車が脇道を使って目的地に向かうと今度はそちらで渋滞が発生します。
このように個々の車が自分にとって最適なルートを選んだつもりでも、全体としては皆が損をしているようなケースがあります。
では、個々の車がどのルートを選ぶ組み合わせなら最も渋滞が起きにくいか。このような問題は『組み合わせ最適化問題』とも呼ばれるのですが、量子コンピュータが得意な計算処理です。
従来のコンピュータは『車AがルートAを選んだ場合、車AがルートBを選んだ場合…』といったように1個ずつ計算処理をしていくのですが、車とルートの数が増えれば計算処理の数が爆発的に増えてしまい、現実的には計算不能になってしまうんです。
B氏:現在、量子コンピュータを適用することで、特に効率化などのメリットがあるとされているのは『最適化計算』、『機械学習(AI)』、『シミュレーション』、『暗号技術』の4分野です。『最適化計算』は先程の交通渋滞の例のような、複数の組み合わせのなかから最適なものを選択するための計算処理を指します。
具体的には、サプライチェーンやロジスティクス業界の配送ルートや荷物の配分、調達方法の選択といった複数の要素から最適な方法を瞬時に解き明かすといった使い方が想定されています。また金融分野では投資のリスク分散やポートフォリオの最適化などへの活用が検討されています。
投資分野は数多くの投資候補があり、さらに社会情勢の変化や各企業の業績、技術発展といった多くの要素が絡んでくるので、それらのなかから最適なものを量子コンピュータによって算出するわけです。
A氏:量子コンピュータは膨大なデータを探索するような処理も得意なので、最近話題のAI技術で行われる『機械学習』への活用も期待されています。また、量子力学はそもそも分子や電子に関する物理学なので、それらを使う化学の分野とも相性が良いとされています。
たとえば物質の構造を調べたり、分子がどのように相互作用しているのかといった『シミュレーション』を量子コンピュータで行うことで、医薬品の開発などに役立つと期待されています。また、量子テクノロジーによって暗号の解読や通信の秘匿化も発展すると予想されています。
量子テクノロジーの発展でブロックチェーンは崩壊するという誤解
——「量子コンピュータによって暗号の解読が行われるようになればブロックチェーン技術が崩壊する」という話を聞いたことがあります。
B氏:それも、量子コンピュータに関してよくある“誤解”の1つですね。ブロックチェーン技術には多くの暗号技術が使われていて、それによってたとえばウォレット内の資産のセキュリティが保たれています。ところが、量子コンピュータと適切なアルゴリズムを使えば、世界中に公開されているウォレットアドレスから、秘密鍵と呼ばれる秘密のパスワードも理論上は解読できてしまうのです。
現在の暗号化技術は、スパコンのような古典的コンピュータ(※量子コンピュータとの対比として現在使われているコンピュータは「古典的コンピュータ」と呼ばれる)を使っても、解読までに数万年以上かかってしまうようになっているのですが、量子コンピュータはそれを短時間で解いてしまう可能性があります。
ただし、暗号資産やブロックチェーンに限らず、ネットバンクやネットサービスなどの多くが、『古典的コンピュータでは解析するのが難しいが、量子コンピュータなら短時間で解析できる』暗号技術を使っています。なので、量子コンピュータによって暗号解析ができるようになれば、ブロックチェーンが崩壊する前に、現在のインターネットが崩壊するでしょう。
しかし実際には、量子コンピュータの発展に伴い、『耐量子暗号』と呼ばれる量子コンピュータでも解析することができない暗号技術の研究も進んでいます。
たしかに現在の暗号技術をそのまま使うのであれば、ブロックチェーンに限らずさまざまな暗号がいつかは解析されてしまうのですが、その前に量子コンピュータに対応した暗号技術が広まるはずです。
A氏:現在インターネット上で使われている暗号技術には、先ほど紹介した素因数分解の難しさによってセキュリティを担保しているものが数多くあります。そして、素因数分解はまさに量子コンピュータの得意分野なので、暗号の解析が短時間でできてしまうんです。とはいえ、量子コンピュータが広まるのであれば、その前に『耐量子暗号』が普及するはずなので、あまり心配する必要はありません。
量子コンピュータ領域における現在の日本の立場と今後の展望・未来
——量子コンピュータはまだ黎明期とうかがいましたが、この分野で日本はどのような立ち位置にいるのでしょうか?
A氏:現在の量子コンピュータ研究は、米国と中国が大きく進んでいて、日本は何周も遅れている状況です。米国や中国の量子コンピュータ研究と比べると、日本はその5分の1程度しか予算が投じられていないとも推計されています。
ただし、量子コンピュータの実用化には5年から10年以上かかると予想されているので、現時点での遅れは致命的なものではありません。
B氏:日本は2022年4月に国家戦略として『量子未来社会ビジョン』という戦略を策定して、『量子コンピュータを始めとした量子テクノロジーは社会課題解決や経済安全といった観点で極めて重要である』と位置付けました。
そして、今後多様な産業分野でこの技術を活用するイメージを提示し、研究開発拠点の整備、スタートアップの創出、人材育成などの取り組みも強化しています。
さらに、2030年に目指すべき状況として『国内の量子技術の利用者を1,000万人に』、『量子技術による生産額を50兆円規模に』、『未来市場を切り開く量子ユニコーンベンチャー企業を創出』といった目標を掲げました。国家戦略として、この分野に力を入れると表明しているのです。
A氏:2023年3月には理化学研究所を中心としたグループが、初の国産量子コンピュータを稼働し始めました。
この国産量子コンピュータは64量子ビットです。量子ビットの数値は、大きければ大きいほど複雑な計算処理ができるものだと考えてください。64量子ビットの場合、2の64乗にあたる約1,845京種類の情報を同時に計算できるということになります。
ちなみに、米アイビーエム(IBM)は2025年までに4,000量子ビット、Googleは2029年までに100万量子ビットの量子コンピュータを開発予定であると発表しているので、日本としてもこの数値を目標としていくことになるでしょう。
B氏:もちろん、世界一の量子コンピュータを開発できれば素晴らしいことですが、この分野は多くの技術や部品が結集してできあがるものです。量子コンピュータを活用する技術や、ハードウェアに使われる部品の製造など、どれか1つだけでも世界が日本に依存するようなものを生み出せれば、大きな成果になります。
量子コンピュータに適切な計算処理をさせるアルゴリズムの開発や、ソフトウェア開発もまだ初期段階なので、可能な限り多くの資金を投じて優秀な人材を育成することも欠かせません。
A氏:量子コンピュータが本格的に使用されるまでには、まだまだ数多くのブレイクスルーがあります。つまり日本が重要なポジションを占める余地は十分にあるといえるでしょう。
B氏:量子コンピュータが実用化された場合、たとえば特定の産業のなかで量子コンピュータを採用している企業だけが一人勝ちのような状態になると予想されています。もちろん、いち早く実用化にこぎつけた国が、この技術を牽引する存在になるでしょう。
先に解説した通り、量子コンピュータが活用されるであろう分野は数多くありますし、今後あらたな活用方法も発掘されるはずです。今はまだ量子コンピュータなんて関係ない、と感じるような分野の企業も、この技術がどの程度実用化に向けて進んでいるのかは理解しておくに越したことはありません。
現時点で予想されている活用方法というのは、量子コンピュータがまだ完成したとはいえない現状において想定されているものに過ぎません。たとえばスマートフォンが存在していなかった頃に、スマートフォンが日常生活で不可欠になるとは誰も想像もできなかったはずです。
また、AI技術やブロックチェーンといった近年話題になっている技術と結合することで、想像もできないビジネスが生まれていくのも間違いありません。10年以上あとに間違いなく訪れる量子コンピュータ時代 の波に乗れるかどうか、それはこれから5年ほどで決まるでしょう。
多くの人が知っている通り、今や日本はコンピュータ分野で世界のトップとはいえない状況になってしまっています。直接的に量子コンピュータとか関わりがないという人も、日本がこの舞台で存在感を示せるように応援していただけると嬉しいですね。
未来社会における量子技術によって創出される価値
Profile
◉A氏
40代既婚、男性。ハードウェア開発職を経て、国内大手IT企業の研究部門に勤務。量子コンピュータ及び量子テクノロジーの開発研究に従事している。最近買って良かったものはVRゴーグルの「Meta Quest 2」。休日はもっぱら自宅でVR ゴルフをプレイしていて、家族からひんしゅくを買っている。
◉B氏
20代男性。大学で量子力学を専攻し、現在はコンピュータ誌を中心に活動するIT専門記者として活動している。趣味は自作PCで、本業のかたわら自作PCサイトを運営している。最近買って良かったものは「Google Pixel 7a」。長年のApple信者だったが、費用対効果を考えてついに改宗した。
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